学生時代の私は多分に青臭いところがあって、余分な金など要らない、生活に必要な分だけあれば良い、それ以上の金は人を腐らせる毒だと思っていた。

仕事は生活の糧を得る手段で、もっとも大切なのは仕事ではなく一人の人間としての人生であり、家庭や家族への愛情と費やす時間が最優先されるべきだと考えていた。

24時間働く企業戦士は、私から見て無慈悲な金の亡者でしかなかった。

趣味を多く持っていた私はその世界に没入することを望むようになり、20歳のときに独立して清掃の仕事を始めた。

小金を作って田舎に引っ越し、星を眺め、詩をつくり、小説を書きながら庭で葱でも育てようという思惑だったが、何せ当時の私は大変貧乏で最初のチラシ代の2万円すら捻出できず、手持ちの7000円と妹から借りた1万円で仕事を始めたため成長はきわめて遅々としており、貧乏具合はまったく改善されなかった。

小銭ばかりの貯金箱から500円玉や100円玉が消え、最終的に1円玉を98枚持ってカップラーメンひとつを買いにいくという経験をした末、この事業はいったん中断となった。

この間家賃は遅れ、電気とガスが止まり、水道だけは何とかしばらく死守したものの結局はこれもやられてしまい、空いたペットボトルを持って公園の水を汲んでいたこともある。

入金日だけはサイゼリアでミラノ風ドリアとハンバーグを食べたが、あとは当時の仲間と80円の肉まんを半分に分けて食べるような日々だった。

 

しかし、この事業を中断した時には私の心持が変わっていた。

まず、趣味の世界に没入する計画はすっかり捨ててしまっていた。

自分で切り貼りのチラシを作り、自分の足でまいて歩き、自分の言葉で営業し、自分の手で掃除し、自分の手でお金を受け取り、自分の目で顧客の喜ぶ顔を見、自分の耳で顧客の礼を聞き、自分の心で感謝を述べる。

やや大変なものの、この一連のプロセスには顧客をどれだけ満足させられるかという商売が病みつきになる一番の要素がたっぷりと詰まっていたのだ。

 

結局私は深夜のトラック運転手の仕事で生活を立て直しながら、清掃の仕事を再開した。

仕事は獲得できたが、今度は社内管理が甘く事故が発生し対応し切れなかった。この後私はしばらくの浪人生活に入る。

 

あなたが働くのはなぜだろうか?

「カネさえあれば・・・」といって顰蹙をかった経営者もいたが、生活費の分だけ稼げれば、という者も謙虚には聞こえるがカネのために働いているという点では同質である。

もちろんそれが悪い訳ではない。さまざまな意見があって良いし、この国は自由にものを言うことを許されている。

私はといえば、お客様に最高のサービスを提供したいと思う。最高の品質を追求していきたい。成果を生み出すという一点において、パラノイアのようでありたい。お客様にとって最高のものであれば、それは私たちにとても最高のものと言ってよい。

 

掃除屋時代、仕事を気に入ってくれたお客様に昼から飲まされ、したたかに酔った。

あの心地良さを私は未だに言葉にできないでいる。仕事と家庭は比べるものではない。むしろ似ている。どこまでも愛情が深まっていくからだ。仕事というのはその人の人生の象徴であり、その人自身の象徴である。

究めるところ、働くことの本質は愛である。